■もんたにゆ70号 1989春 「緑の波」2017年03月28日

■もんたにゆ70号 1989春 「緑の波」

もんたにゆ70号は「緑の波」
 春の林を歩いていると、新緑を通過した日差しが、あたり一面を萌黄色に染める時があります。そんな場所に偶然さしかかると、歩みを止めて降り注ぐ若い緑の光をいつまでも浴びていたくなります。どうやら”緑”という色は私達の心の中にも入ってくるようです。

 そんな精神安定剤として大切な緑なのですが、なぜか日本人は昔から緑色の認識が不得意だと言われています。つまり緑色=青色となるからです。この青と緑の混同は他にもベトナムや中国で見られるらしいのですが本当に不思議です。ネットで調べてみると、古代の日本の色は「黒・赤」「白・青」の構図で4種類の概念しか無かった為、緑色は青の範疇に含まれてしまい緑色=青色の混同が起こっているとあります。理屈は解るのですが、でもなんでそうなるのか”もやもや”です。

ちょっと考えてみました。。。

 以前、自分が読んだ本の中に、古代日本の狩猟フィールド(生活フィールド)が青色だったからと書いてありました。つまり大昔は生活する場の前面には大きな青い海があり、そこで貝を採り、魚を獲っていました。獣を獲る為に背面の山野に足を踏み入れるものの、やはりその多くの狩猟フィールドは海でした。発掘される貝塚からその生活様式が読み取れるといいます。生きていくうえで、緑色はそれほど重要でなく、目の前の圧倒的な青い海の方が重要でした。ではこの青い海の色はどこからきたか。。。、それは空の色からです。海の色はそれ自体が青いのではなく、空の色を反射しているだけです。そして湿度の高い日本ではきっと山野も青く霞んでいたはずです。つまり認識する色彩の大部分は青色と言えます。青色は色の親分になっていたと思われます。

ここからはちょっと別の話に飛びます。。。

 緯度の高低によって好みの色が変化する話です。緯度が低いと強い太陽光が真上から注がれます。その結果、強い光に負けないよう原色に近いビビットな色が好まれます。赤道に近い国々の濃い赤色や濃い緑色がそうです。逆に緯度が高い所では太陽光が斜めになり光線量が少なくなることから、中間色の弱い色調が好まれます。寒色の青色や黄色がそれに当たります。では中緯度にある日本の場合どうでしょうか。北海道と沖縄では色の好みに差が現れますが、ビビットな色より寒色系の色が環境に溶け込みやすかったと思われ、その結果、目の前にある海の色=青色が強く認識されたのかもしれません。

 そしてもうひとつ。古代の日本絵具です。当時は色を作る為に自然界にあるものから作らざるを得ませんでした。原料は鉱物、植物、動物(貝など)などからです。その中で青色や緑色はほぼ鉱物から作られています。いわゆる岩絵具です。鉱物から作られた緑色(岩緑青など)は青色を感じさせます。色相(Wikiリンク)を見ても青色→シアン→緑色となり、緑になるまでに青緑⇔緑青という範囲が存在します。この範囲の緑色は限りなく青を含み(無限大∞)、しかも青を感じさせる色です。このことから曖昧な緑色はみ~んな青!という認識が生まれたのかもしれません。

青色の話をしているのか緑色の話をしているのかちょっと分からなくなりましたが(笑)

 日本人は緑色に弱かったということです。日本絵具の色数や美しい名称からみても豊かな色彩感覚を持っている日本人ですが、認識できてもまとめて青色で考えてしまいます。ところが近年になって環境問題がクローズアップされたことで、この”緑”が注目され始めました。自分は仕事で”緑”を扱っていますが、仕事で用いる時は”みどり”と表現しています。硬い感じの”緑”より、やわらかい感じの”みどり”の方がより心象的でイメージが伝わりやすいからです。つまり”緑”は「人の心を左右する色になった」と言うことです。

 山に分け入って”緑”に包まれたり、公園で芝生に寝転んだり、あるいは”緑”を育ててみたり。。。人それぞれ”緑”の関わり方は異なりますが、園芸セラピーとか園芸療法とかいった言葉が生まれてくることを考えると、現代では”場の緑”から”心へ作用するみどり”まで幅広い範囲で”緑”が強く認識されてきていることは間違いなさそうです。

新緑の山に登って一度ゆっくりと”みどり”を味わってみませんか。


■もんたにゆ69号 1989冬 「冬夜読書」2017年03月04日

■もんたにゆ69号 1989冬 「冬夜読書」


 もんたにゆの小冊子では珍しい縦書きの表紙です。

タイトルの冬夜読書(とうやどくしょ)は
江戸時代の儒学者 ”菅 茶山”(かんさざん(ちゃざん)”という人の漢詩です。

やたら難しい文言が並んでいるので少し読みやすくしてみますね。

       「冬夜読書」  菅茶山
  雪は山堂(さんどう)を擁(よう)して 樹影深し
  檐鈴(えんれい)動かず 夜沈沈(よるちんちん)
  閑(かん)に乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思えば
  一穂(いっすい)の青灯 萬古(ばんこ)の心
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※檐鈴(えんれい):軒の鈴
※閑(かん):静かに
※乱帙(らんちつ):ちらかった書物
※一穂(いっすい)の青灯:ひとずじの灯火
※萬古(ばんこ):昔の人やその考え方、昔の時代等
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あとは皆さんの感性で自由に想像してみることをお勧めします。。。

ところでこの冊子の”とびら”には、
「詩窓」という書がしたためてあります。
これは私が故熊田志名雄さんにお願いをして書いていただいたもので、
今となっては、とても感慨深いものがあります。

山登りはただ登るだけでなく、この窓を開けることも大切ですね。。。

■熊田志名雄さん「詩窓」



■もんたにゆ68号 1988秋 「錦繍と文鎮2」2017年01月30日

■もんたにゆ68号 1988秋 「錦繍と文鎮2」

もんたにゆ68号は、前回64号でご紹介した
”私の好きな本特集” 「錦繍と文鎮」 の第二弾となります。
サブタイトルは”心に残る本”
今回もかなりの会員が、心に残る本と山との関りを書いてくれています。

・青柳 健      序詩・「山の本」 
・佐々木かづを  「日没物語」 原 秀雄著
・今泉忠芳     「雑木林の博物誌」 足田輝一著
・安藤忠夫      「山の本屋の日記」 小林静生著
・加藤比呂志   「女は冒険」 青山晴美著
・神田道雄      「雲表を行く」 冠 松次郎著
・米山和男    「ヒマラヤの旅」 長谷川傳次郎著
・小林英見    「日本北アルプス登山案内」 冠 松次郎著
・小川勝一    「若き日の山他」 串田孫一著
・大塚 繁     「お天気歳時記」 大野義輝・平塚和夫著
・阿部恒夫    「山の本~収集の楽しみ~」 上田茂春編
・斎藤健治     「RUNNING WATER」 Mason著
・秋山平三    「乖離」 初見靖一著
・奥田 博      「花のない季節」 写真集・富成忠夫
・沢田 真     「山麓の生活誌」 太田愛人著
・新谷 哲     「霧の山稜」 加藤泰三著
・小須田義治   「雲取山に生きる」 新井信太郎著
・小原怜子     「花の画集」 画文集他・佐藤達夫
・石井八重子   「広辞苑」 新村出版編
・多田和夫     「処女峰アンナプルナ」 M=エルゾーグ著
・山本恭平    「静かなる山の旅他」 河田 禎著

今はデジタル書籍の時代。
ここに登場するほとんどの本はすでに絶版になっていると思われます。
だからこそ古本屋を訪ね歩いて、こうした本を探してみるのも
アナログで面白いかもしれませんね。

■もんたにゆ67号 1988夏 「雲と地平線」2017年01月08日

■もんたにゆ67号 1988夏 「雲と地平線」

もんたにゆ67号は 「雲と地平線」
モンゴルに遠征した時の山行記録集。
壮大なモンゴルの風景が凝縮した一冊です。

■もんたにゆ66号 1988春 「山の仲間たち」 青柳 健 特集2016年06月13日

■もんたにゆ66号 1988春 「山の仲間たち」青柳健特集

もんたにゆ66号は、山の仲間たちに”健さん”を語ってもらう特集です。
恩師や学友(岳友)の方々からも原稿をいただき、それを編集委員の金子光雄さんがまとめてくれました。
以下”目次”ですがご紹介します。

       【目次】
・串田孫一    「輝く羞恥」
・中嶋嶺雄    「未知数の山男」
・青柳  健     「写真・谷川岳にて」
・熊田志名雄   「健さんを想いて」
・青柳  健     「詩・山の仲間たち」
・窪田 清      「外語時代の健さんと私」
・土屋美幸    「出合の頃 ―― 健さん・穂高」
・青柳  健     「写真・富士山を背に」
・中村朋弘    「まいんべるく会と健さん」
・阿部恒夫    「第二次RCCと山岳展望の会そして青柳御大のことなど」
・小原伶子    「表紙・絵・シャモニの教会」
・伊藤とも子   「とびら・版画・鎮座の山」

山の仲間たちの楽しい語らいが聞こえてきそうです。
さて今回は、
この中で健さんが書かれた「詩・山の仲間たち」をピックアップしてみます。
(詩をクリックすると拡大します)↓
「詩・山の仲間たち」青柳健


■もんたにゆ65号 1988冬 「冬の響」2016年05月26日

■もんたにゆ65号 1988冬 「冬の響」

もんたにゆ65号 は 「冬の響」

うっかり冬山の扉を開けてしまった山行。
そういう経験ありませんか?

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北岳に登ろうとやってきた僕達は、
雪の舞うバットレスで思いもよらず苦戦していた。

現れた雪と氷の世界。
ホワイトアウトした天地に何度かルートを失い、
ベルグラが一面に張り付いた緊張の岩場で、
アイゼンのつま先がキリキリと悲鳴をあげていた。

渦巻く風雪は頂稜部が相当荒れていることを物語っていた。
それでも僕達はザイルを伸ばしたが、
やがて下降を決意した。

ビバーク地点でも寒気はナイフのように突き刺さった。
ツエルトで寝た僕は、明け方の寒さで眠ることができず
自分自身の吐く息で、内側は真っ白に凍り付いていた。

夜が明けると、
マリンブルーの空に
白い北岳が赤く染まって浮かび上がった。

僕達に敗北感は無かった。
昨日たどったルートを仲間と指差しながら
目の前に現れた美しい冬山にただただ感動していた。
                              1980年晩秋

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※バットレス(英語):
建築用語で”控え壁”のこと。日本で第二の高峰、南アルプスの北岳(3,193m)には、山を支えるような大きな岩壁帯があり、その形からこの岩壁帯を”北岳バットレス”と呼んでいます。

※ベルグラ(仏語):
岩に氷が薄く張り付いた状態。冬の道路で言えばブラックアイスバーンのようなもの。見た目は普通に見えてもツルツルでアイゼンを付けていてもスリップすることがあります。


■もんたにゆ64号 1987秋 「錦繍と文鎮」2016年04月29日

■もんたにゆ64号 1987秋 「錦繍と文鎮」

久しぶりのブログ更新となりました。

さて、64号は「錦繍と文鎮」。
秋の読書にちなみ「好きな本」特集です。
山の会なので、山にからんだ図書が多いですね。
健さんは「空白の山の詩集」という題で、
いつもの詩を書いてくれていますが、
本編はたくさんの会員が好きな山の本への思いを書いています。
かなりの人数が参加していますが、以下、頑張って羅列してみます。
マニアックなものが多いです。

・斉藤健治    「Where The Clouds Can Go」 ソーリントン編
・阿部恒夫    「忘我の記」 中里恒子著
・大塚 繁     「山と渓谷(紀行編)」 田部重治著
・加藤比呂志   「ユングフラウの月」 庄野英二著
・小川勝一    「山の絵日記他」 串田孫一他
・石井八重子   「いきている」 絵・雨田光弘、詩・三善晃
・小原伶子    「旅帖一、二山岳頌」 加藤淘綾著
・今泉忠芳    「山と渓谷(紀行編)」 田部重治著
・松田昕之    「無心の山」 サン・ルー著(安川茂雄訳)
・村瀬清和    「黒部とその山々をゆく」 深井三郎著
・米山和男    「銀河と宇宙」 山本一清編
・宇津力雄    「黄色いテント」 田淵行男著
・中垣淑子    「デルスウ・ウザーラ」 アルセーニエフ著(長谷川四郎訳)
・中山玲子    「ピッケルを持ったお巡りさん」 富山県警察山岳警備隊員著
・小林英見    「雲の上の道」 深田久弥著
・安藤忠夫    「山に棲むなり」 宇江敏勝著
・神田道雄    「白い尾瀬」 金海次郎著
・小須田義治   「山へ」 吉沢一郎著
・桐生律枝    「雪山・藪山」 川崎精雄著
・新谷 哲     「山とある日」 上田哲農著
・瀬戸川明    「山の組曲」 串田孫一著
・沢田 真     「北海道の旅」 串田孫一著
・奥田 博     「可愛い山」 石川欣一著
・奈須野清樹   「山とスキーの広告画文集」 辻まこと著
・多田和夫    「寒山の森から」 田淵義雄著
・山本恭平    「プラテーロとぼく」 ヒメネス著(長南美訳他)
・熊田志名雄   「草枕」 夏目漱石著 

なんと多様な本の数々!当時、大きな本屋には山岳図書コーナーもあり、たくさんの山の本が並べられていました。こうした本の一冊一冊が人それぞれの山への思いを膨らませてくれました。近年の山ブームの背景にこれがないのがとても寂しいです。

■もんたにゆ63号 1987夏 「夏山の日々」2015年12月07日

■もんたにゆ63号 1987夏 「夏山の日々」

 学生の頃は、夏休みの大半を山で過ごしていた。山の中は涼しく、東京の猛暑が嘘のようだった。
 ある時、湯俣から北鎌尾根をトレースして槍ヶ岳に登り、そのまま大キレットを越えて穂高・涸沢まで縦走したことがあった。涸沢に到着しツエルトを張って1~2日のんびりした後、今度は空荷で上高地まで下った。もう何日もフロに入っていないし、ポロシャツは破れて、髪はボサボサ、ヒゲもボーボーだった。つまり僕達は超汚物になっていた。
 横尾を過ぎると身なりの綺麗な上高地からの観光客とすれ違うようになる。自分達の浮いた感じに戸惑いつつ。。。休みがてら隣にいた女の子の二人連れに声をかけた。
「。。。しばらく新鮮な野菜を食べてなくて。。。この辺でキャベツ売ってない?」「先輩に買って来いと言われて。。。」
女の子達は
「エッ!キャベツ?ご飯たべてないんですか?」「観光地だから八百屋は~、上高地までいくとひょっとしてあるかも~」
と真剣に同情してくれた。自分達の汚い風体を珍しそうに眺める観光客を逆手にとったイタズラだ。この反応が面白くて、その後イタズラをしては、単調な道のりを紛らわして上高地まで歩いた。
 上高地へ行くには訳があった。山岳会の本隊が東京から到着する予定だったからだ。こうしてその日、重い荷物を担いで、再び涸沢まで登り返し、また山での生活が始まった。

 この頃は、時間がありすぎるぐらいあった。別の年の夏には、合宿が終わり「明日から仕事だ」という本隊を上高地で見送った後、残った食料をもらい、今度は小梨平に天幕を張った。しかし食料は有限だから数日で底をついてしまう。いよいよという日、夕食時をねらって、天幕から這い出し
「小梨平のみなさまァ~!余った食料があれば整理しまァ~す!」
と大声で叫んでみた。するとすぐ隣のキャンパーから「作り過ぎたから。。。」と速攻で暖かいカレーが届いた。それになんと!スイカまでやってきた。さらに翌日には、「もう下山するから、使わなかった非常食置いてくよ」と、わざわざ持ってきてくれた山屋もいた。
こうして食べ物が底をつくまで僕達は山の中に居た。(日本人は本当に優しいです。。。)

これが私の最高で最低の「夏山の日々」三昧の想い出です。当時の皆さまゴメンナサイm(._.)m


※表紙は、中垣淑子さん「絵・ランタン・リルン」

■週末の山は秋だった!2015年10月26日

土曜日に娘夫婦と山に行ってきました。
大月にある小さな山ですが、日ごろ運動不足の自分にとっては、チャレンジ。
稜線は色付き始めた木々がトンネルになって、
気持ちの良い風が吹き抜けていました。




山頂ではお昼時間がたっぷり取れたので、
通常の山では考えられない食事が次々と。。。
娘が前日から仕込んでくれた牛スジ煮込みを
絶景を見ながらいただき。。。
ハイライトはなんと!
「肉祭りィ」
山頂でステーキ&カルビです!!!
山へ何しにいったのか判らなくなるくらいの幸せグルメでした。
お腹がいっぱいで、せっかく持ってきてくれた白玉アズキはもう無理!



秋の日差しは紅葉のカーテンから柔らかく差し込んで、疲れた体を癒してくれます。
あと一週間もすれば、かなりの色付きになるでしょうね。
楽しい一日でした。





途中咲いていたリンドウ

野菊(ユウガギクかイナカギク同定できず)

恒例ですが、翌日はカクカクとロボット歩きの筋肉痛でした(笑)
けっこう辛いですぅ。


■もんたにゆ62号 1987春 「春嶺」2015年10月16日

1987年もんたにゆ62号 は 「春嶺」
表紙は瀬戸川明さんの「絵・耳二つ」

「耳二つ」とは谷川岳の別名です。
谷川岳は猫の耳のような双耳峰だからです。手前の峰を「トマの耳」、奥の峰を「オキの耳」と呼び、沼田あたりからも、この双耳峰はよく見えます。
関越道でも冬場に遠く赤城山と榛名山との間に、真っ白な「耳二つ」が見えると、今でも深い思いがよぎります。

■もんたにゆ62号 1987春 「春嶺」

 新人の頃、春山の合宿が谷川岳、”一ノ倉沢”だった時のこと。
その年、ある山岳会のクライマーが真冬の”一ノ倉沢”に入り、帰らぬ人となった。救助隊は出動したものの、厳冬期の”一ノ倉沢”は雪崩の巣窟となっていて、二重遭難の恐れから、捜索は打ち切られ、雪解けを待ってからの捜索となった。五月の連休に捜索が再開された時、私達は「友情捜索」ということで参加をした。他の山岳会もたくさん来ていて”一ノ倉沢”の出合いには、多数の天幕が張られた。

 五月の”一ノ倉沢”は想像もつかないほど大量の雪で埋めつくされていた。駐車場からそのまま雪の上を歩いてテールリッジへ行くこともできた。そのテールリッジは下1/3は雪に埋もれ、”ヒョングリの滝”も雪の下にあって、無雪期の”一ノ倉沢”では考えられない位置で、雪上を歩いている自分達が不思議に思えた。捜索はそのテールリッジの末端あたりを中心に行われた。

 捜索にはゾンデを使った。指定された区画内でゾンデを雪の中に突き刺しながら探ると、時々コツンと硬い感触がゾンデを通して手に伝わってきた。石の感触はすぐそれと判断できたが、雪崩で流された木や根は、やわらかい感触で伝わってくるので、遺体との区別がとても難しかった。
 疑わしい感触にぶつかると、雪掘りが始まった。雪掘りは雪の深さを考慮して、数メートル四方から掘り始め、1メートルほど掘り下げると、雪の運び出しを考えてステップをひとつ残し、そこからまた1メートル掘り下げると、またステップをひとつ残して四角い螺旋階段のように掘り下げていった。数メートルの深さに掘ってもまだ沢底は見えなかった。毎日この作業をして、この年の”一ノ倉沢”は雪の上にあっちこっちに四角い穴が掘られた。

 5月の”一ノ倉沢”といえども決して安全ではなかった。ブロック雪崩にたびたび見舞われたからだ。雪上には押出されたデブリと共に一戸建てぐらいの巨大な雪の塊がゴロゴロ転がっていた。南稜テラス辺りに捜索隊が見張りを配置してくれて、ブロック雪崩が発生する度に笛で知らせてくれたが、腹に響く雪崩の音を聞いてから雪崩本体を目視で確認するまでの間は極度に緊張させられた。特に背面の滝沢スラブからの雪崩に神経をすり減らした記憶がある。幸いに期間中、捜索場所まで雪崩が押し出してくることは無かった。

 こうした雪崩は決まって午後にやって来た。まれに朝、太陽が当たり始めると、雪塊がゆるんで崩落することもあったが、15時~16時頃が多かった。ドッドッドッドッと腹に響く大音響とともに、大きな雪の塊が大量に斜面を滑り落ちてくる。バキバキと木をへし折って吹っ飛んでくるのだ。やがてゆっくりと停止し、音もおさまると、”一ノ倉沢”は何事もなかったかのように、いつもの静寂に戻っていった。

結局、5月の連休に遺体は収容されなかった。
遺体は、新緑が眩しい6月遅く、"一の倉沢"の出会い近くで発見されたと後で聞いた。


※谷川岳:
新潟と群馬の県境にある山(標高1977m)。その東面にある”一ノ倉沢”は日本屈指の岩場で有名。
※ゾンデ(sonde=独語):
医療器具で体の中に差し込む細い探針棒。山では雪崩などで埋まってしまった遭難者をφ10mm程の鉄筋(L=3~4m程)で雪中に突き刺し、その感触で捜索する道具のこと。最近はプローブ(probes=英語)と言うらしい。
※ブロック雪崩:
全層雪崩の一種。稜線の雪庇などが春先にブロック化して一気に崩落したり、斜面に積もった雪が全層ごと滑り落ちる雪崩。雪の比重が重く、破壊力がある。
※デブリ(debris=英語):
直訳では”屑”、”ゴミ”。山では雪崩で押し出された堆積物のこと。主に雪の塊。


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